Rochesterで数理政治学を学ぶ

アメリカ政治学博士課程留学サンプル

リベラルな聴講か履修か

今期は数理政治学ミクロ経済学・経済数学の授業を受けている。数理政治学は履修、ミクロ経済学・経済数学は聴講にしたのだが、「履修にするか聴講にするか」という問題は結構悩ましい問題だと思う。もちろん必要最低単位は取らなければならないので、それ以外に受けたい数科目をどうすべきかという話なのだが、最近気が付いたのは「履修してコミットした方が多く学びが得られる」という一般的なイメージは必ずしも正しくないという事である。

というのも、私のように「興味に従って自発的に学習している時ほど結局真面目に勉強している」というタイプの人(研究者には多いかもしれない)には、課題によって学習を強制されると自発的な学習意欲が削がれて勉強が楽しくなくなり、パフォーマンスも低下するという事態が発生するからである。思えば私は、学部生の時は朝8時~夜10時の開館中ほとんどを図書館で過ごし、それも平日休日見境なく図書館に入り浸るという受験生の鑑のような狂気じみた生活を送っていたのだが、それは私がストイックだからではなくて(客観的に見て私のストイック度は平均的だと思う)、課題としてではなく自発的に色々な参考書を読み、半分趣味として学習していたから可能だったのである。またギャップイヤーの時には、聴講にもかかわらず計量経済学の期末試験を受けるという奇行に走り結果的に上位数%の成績を取ったが、それも聴講という自発的な学習が成せる技で、義務であればそこまでの積極性・パフォーマンスは発揮できないのが自分という人間である。そのため、「聴講にする事で自らの自発的学習意欲が刺激され、履修するよりも多くの学びを得られる」という可能性は全く否定できない。

他方、大学院の課題はとても時間がかかる大変なものが多いので、いくらやる気に満ちた聴講モンスターと言えど、義務でなければやらずに済ませてしまう可能性が高い。したがって、履修して課題にコミットする事で得られる学びも無視できず、常に聴講が最適解とも言えないところである。結論としては、嫌々であれ課題をこなす事で得られる学びと、課題をスキップして得られた時間を授業の復習や参考書を読むのに使う事で得られる学びを、各科目ごとに天秤にかけて判断するしかないだろう。

私の場合で言えば、特に悩ましかったのは経済数学を履修するか聴講するかという問題だった。数理政治学者にとって数学というのは「どう応用するか」に興味があるものでそれ自体にあまり興味はないので、聴講にしてもそれほど自発的学習意欲が駆り立てられるわけではなく、むしろ課題を解く事で概念の定義や性質に慣れ親しむ事ができるので、数学は履修した方が一般論としてはいいと思う。実際先学期のReal Analysisは数理政治学者にとっても重要であり、履修して課題にたくさん時間を割いたのは極めて有意義だったと感じている。一方今期の測度論的確率論は、これまであまり応用例に出会った事がないので十分なモチベーションがなく、ロチェスターミクロ経済学専攻の先輩からも「測度論的確率論の授業は必要以上の内容をやる事になるかもしれない」というアドバイスを頂いたので、先学期のように課題にコミットするのは躊躇われた。結局聴講という選択肢が正しかったのか現段階では分からないが、数学にそこまで時間を割かないぶん数理政治学ミクロ経済学の勉強や2nd-year Paperが順調に進捗しているので、機会費用を考えると少なくとも非常に悪い選択ではなかったと感じている。

もうすぐ春学期の折り返し地点である。測度論的確率論の授業は前半に理論、後半にDynamic ProgrammingやDynamic Gameへの応用を扱うので、前半は正直あまり測度論のご利益が感じられなかったのだが、後半を受けてみると測度論の有用性が分かるのかもしれない。思えば、数年前に今井耕介先生が講演会で「教科書の前半に応用、後半に理論を持ってきているのがこだわりです」と仰っていたのだが、そちらの方が学習のモチベーションが高まるのは間違いない。他方計量と違って数理は「細かい事が分かっていなくてもとりあえず分析を体験して楽しさを実感する」という事ができないので、数理については理論と応用の順番を逆転させるのは難しいかもしれない。とはいえ理論を学習する前に最初の1,2回はモチベーションを高めるために応用を先見せしたり、あるいは理論の合間に応用を小出しにしていく形式の方が、授業の進行として良いのではないだろうか。

話は逸れたが、聴講中心の今期がロチェスターでのこれまで2年間で最も楽しく勉強できている学期である事は間違いない。聴講の有用性を証明するためにも、「最も生産的な学期でもあった」と振り返る事ができるよう、今期の後半を一生懸命楽しんでいきたい。