今期は人生初のTAをやっていた。担当したのは大学院の数理政治学コアの前半であるMathematical Modelingで、内容は個人の意思決定 (Individual Choice) と集団の意思決定 (Social Choice) 、そしてReal Analysisを中心とする数学である。多くの大学ではpure theory(手法的な内容)については1科目しかなくゲーム理論のみをカバーするのが普通なので、ゲーム理論以外で重要なpure theoryを1科目かけてカバーするというカリキュラムは中々稀有だと思う。(私が知っている範囲では、UCSDでもロチェスター出身の先生が同様のカリキュラムを導入したらしいが、それ以外では見た事が無い。)その意味でこの科目は最もロチェスターらしい科目であり、TAを通じて、数理政治学のカリキュラムで何を教えるべきかについて考えを深める事ができた。
具体的には、とりわけSocial Choiceの基礎を教える事の重要性を感じた。というのも、Social Choiceは政治の最も基本的なモデルだと思うからである。「政治とは何か」という問いについては、学部の授業でイーストンの「価値の権威的配分」やシュミットの「友敵関係」など有名な政治学者による様々な定義を習ったが、私が考える定義は「集団的意思決定とその実行」である。最も小さな単位では自治体、次に国、そして国際連合といった、大小さまざまな単位の人間の集団が集団としての意思決定を行い、そしてそれを実行するというのが、政治の本質ではないかと思う。そう考えた時、集団的意思決定の最も基本的なモデルであるSocial Choiceは、政治の最も基本的なモデルだと言う事ができる。
歴史的には、Social Choiceにおけるアローの不可能性定理(民主主義に対していくつかの望ましい性質を要求すると独裁主義になってしまう)やMcKelvey-Schofieldのカオス定理(多次元空間上の選択肢にコンドルセ勝者(他全ての選択肢との1対1の多数決で勝つ選択肢)は基本的にない)といったネガティブな結果をうけて、それでも民主主義は一応機能しているように見えるし、法則性もあるはずだという事でゲーム理論による分析が進んできたわけだが、かといって出発点となったSocial Choiceを丸々スキップしてゲーム理論ばかり教えるのは、政治を理論的に理解する上で最も基本的な部分が欠落していると言わざるを得ない。
この時思い出されるのは、日本のミクロ経済学において最も有名な教科書の1つである『ミクロ経済学の力』の序文の一節である。著者は、経済学の基本である価格理論をスキップしてゲーム理論ばかり教えるのは、物理学においてニュートン力学をスキップして素粒子理論ばかり教えるようなものと批判しているが、全く同様の事が政治学におけるSocial Choiceにも当てはまると思う。価格理論は既に完成された理論であり今さら価格理論を研究している経済理論家は少ないが、しかし重要な基礎としてコア科目で教え続けられている。同様に、Social Choiceは(少なくとも政治学者の目から見れば)既に完成された理論であり、政治学者でSocial Choiceを研究している人は少ないが、やはり重要な基礎としてコア科目で教えられるべきなのではないかと思う。
Social Choiceが具体的にどう重要かと言うと、例えばSocial Choiceを勉強していない政治学者にとっての中位投票者定理は、中位投票者の望む政策が均衡であるというゲーム理論的な理解かもしれないが、中位投票者定理は元々Social Choiceの定理で、中位投票者の望む政策がコンドルセ勝者であるという事実がその背後にある。あるいはSocial Choiceを勉強していないと、民主主義と独裁主義の違いは選挙の競争性や報道の自由といった様々な要因で決まるもので、理論的に明確な違いを述べる事は難しく、民主主義”度”と言っても本質的に何を測定しているのか曖昧だが、Social Choiceにおいては、民主主義は全ての人の選好が意思決定において考慮されている状態、逆に独裁主義は1人の選好だけで結果が決まる状態、そして一部の人の選好だけで結果が決まる中間的状態としての寡頭制といったように、明確な基準が存在する。またVeto playerという「民主主義度」とは一見無関係な制度も、民主主義が全員を平等に扱うと発生しがちな多数決のサイクル(過半数がAよりBを好み、過半数(同じ人たちとは限らない)がBよりCを好み、過半数がCよりAを好む)を回避し民主主義が無事に意思決定を行うための、「独裁主義ほど極端ではない部分的な権力の集中」という妥協だと理解できる。
とはいえ、Social Choiceのあまり詳しい内容まで教える必要はないと思う。具体的に教えるべきだと思うのは、「アローの不可能性定理」から出発して、「この定理で仮定されている公理を緩めたところで似たような結果が得られるため、民主主義の抱えているジレンマは本質的なものであるという事」、したがって「民主主義においてポジティブな結果を得るためには集団的意思決定のアウトプットかインプットのいずれかに制約をかける必要があるという事」、「アウトプットに制約をかけた代表例として、選択肢を2つに絞った下で多数決の望ましさを示すMayの定理」、「インプットに制約をかけた代表例として、選好をsingle-peaked preferenceに限定した下での中位投票者定理」、しかし「多次元空間においては多数決はほぼ不可能である事を示すMcKelvey-Schofieldのカオス定理」、そして「ポジティブな結果が得られるかの鍵になっているのは選択肢や次元の数を規定している中村ナンバーという数であるという事」、といった一連の全体像である。これらは1単位もあれば詳しく教える事が可能だと思うし、概要だけをその半分の時間で教える事も十分可能だと思う。このたった数回分のSocial Choiceを教えるかスキップするかで政治の理論的理解に大きな違いが出るのであれば、教えない手はないと思う。*1
Social Choiceだけでなく、数学についても考える事があった。数学は授業の最初に集合論・論理学・証明の基礎をやり、授業の後半でReal Analysisを教える構成だった。まずReal Analysisについては、「最適化を厳密に行うのに必要なツール」というモチベーションがしっかりと与えられたのは素晴らしいと思ったが、ロチェスターでは最適化理論を後期のゲーム理論の授業でカバーするので、今回の授業では最適化理論自体は詳しくやらなかった。だがReal Analysis単体だとイマイチ何のためにやっているかが分かりにくいので、理想的には、Real Analysisとその応用としての最適化理論をセットで教える方が望ましいと思う。
集合論・論理学・証明の基礎は、確かに重要な内容であるものの、政治学でカバーするレベルの内容は後に続くIndividual Choiceの二項関係等の内容に比べて簡単なので(実際宿題も最初数回の数学は全員満点近くとれており、Individual Choiceに入ってから一気に点が落ちた)、簡単な授業だと勘違いされてしまい履修ミスを誘発する危険があると感じた。実際、レベルに合っていない授業を誤って履修してしまったのか、内容を理解せずに優秀な人の答案を写していると思われる学部生の答案が散見された。(答案の細かい部分に違いがあり、理解していれば絶対に犯さないようなミスが見られたので、どれがオリジナルでどれがコピーか分かった。これは、ささいな違いでもネイティブスピーカーなら絶対に犯さないような文法ミスをするとネイティブでないと分かってしまうのと似ている。)履修するかを決める最初数回の授業は後の内容と同レベルの内容を教えるべきだと考えると、集合論・論理学・証明の基礎といった内容は、学期中の授業ではなくMath Campでやるのが適当ではないかと思う。そうすれば数週分余裕が生まれるので、ロチェスターでは後期に押し出されてしまっている最適化理論を前期にまとめる事ができると思う。*2このように、授業の構成を参考にしつつも、自分なりに理想的な数理政治学コアの内容を考える事ができた。
また授業内容だけでなく、授業形式についてもどのように設計するべきかについて考えを深めた。そもそも宿題や試験は何を目的としているかを考える所から始め、したがって宿題はどのような内容をどれくらいの量・頻度で出すべきか、宿題の解答は配布した方がいいのか(一見些細な事かもしれないが、思いの外多くの考慮要因がある)、前回の投稿にも書いたように試験はどのような形式で行うべきか、以前の投稿で書いたように理想的なTAセッションとはどのようなものか、といった点について自分なりの考えを持つことができた。
2年前の投稿で宣言したように、証明の添削にも力を入れた。証明の練習は、数学においてだけでなく論理的に文章を書けるようになるために重要なトレーニングだと思う。だが証明の書き方は意外と高校でも大学でも教えてくれないので、丁寧に添削してもらえる機会がない限り中々上達しないし、まともに書けていない事を自覚する事すら難しいと思う。自分の場合は、2年前に受けた経済数学の授業のTAが丁寧に添削してくださったお陰で記述力が向上したので、自分も似たような貢献をしたいと考えていた。こうした添削指導の意義を全員に気が付いてもらうのは難しいかもしれないが、そのTAの方に感謝している自分のように、毎年一人でも気が付いてくれる人がいればいいなと思う。実際、何人かの学生はアドバイスを真摯に受け止めてくれたようで、記述に明らかな改善が見られた。学生が証明を書く時にどのような点でミスしやすいか一学期間を通じて自分自身も学ぶ事ができ、それを基に初回の授業でどのようなアドバイスをするべきかも考える事ができた。
たった一回のTAではあったが、自分なりのTeaching Policyを確立する上で非常に有意義なTAだった。TA評価のアンケートでも学生から満点近い評価をもらう事ができたので、真摯に取り組んでよかったなと思う。後期も大学院の数理政治学コアのTAを任せてもらえる事になったので、数理政治学カリキュラムの構想を引き続き練っていきたい。
反省点としては、人生初のTAという事で諸々非効率な点も多かったため過剰に時間を割いてしまい、研究の進捗が遅れてしまった事である。現在取り組んでいる論文についてしっかり冬休みの間にキャッチアップした上で、春学期を通じて推敲を重ね、学期末にはジャーナル投稿を始められる段階まで持っていきたい。
*1:この構成の着想は授業よりもAusten-Smith&BanksのPositive Political Theory Iから得ている。ゲーム理論を使った数理政治学の体系を示しているPositive Political Theory II 同様、Social Choiceの体系を示しているこの本も美しい本だが、技術的に細かい話も多い。したがってこの本のクリアな構成を基に、今回の授業と同じくらいのレベルで教えるのが理想的だと感じる。
*2:ゲーム理論だけで4単位では教える内容が足りないので最適化理論をあえて後期に回しているという説はあるが、ロチェスターではゲーム理論を1年後期と2年前期の8単位かけて勉強するカリキュラムになっており、重複があるように感じるので、いっそ1科目にまとめてしまえるのではないかと思う。2年前期の授業ではReal Analysisを使った均衡存在の証明など上級レベルの内容をやるのであえてコアから外しているという意図も分かるのだが、それを言うなら1年前期のIndividual ChoiceとSocial Choiceも上級レベルの抽象的な証明が多いので、前期と後期でコアのレベルが噛み合っていないように感じる。ロチェスターのように数理に力を入れている大学なら、コア科目を1年通じて上級レベルの内容に統一する事も考えていいのではないだろうか。



