Rochesterで数理政治学を学ぶ

アメリカ政治学博士課程留学サンプル

2023年秋学期振り返り

Introduction to Mathematical Economics

前半はCarothers (2000) Real AnalysisのPart1を教科書としてOpen/Closed Sets, Continuous Functions, Connectedness, Completeness, Compactnessといった位相数学の概念を学び、後半はConvexity/Separating Hyperplane Theorem, Correspondences/Theorem of the Maximum/Fixed Point Theory, Infinite Dimensional Spaces/Dynamic Programming, Function Spacesといったトピックを学習した。

修士課程まで経済数学を学習してこなかった自分にとって、Math Campを通じて短期間で速習するのではなく、通常の授業を通じてじっくりと経済数学を学習できる機会は非常にありがたかった。また、中間試験・期末試験ともにクラスで同率1位の成績を取る事ができ、経済学部生相手に自分の数学力が通用すると分かった事は自信に繋がった。経済学部生はミクロ・マクロ・計量というヘビーなコア科目と並行して経済数学の授業をこなしていた一方(自分なら確実にパンクするような大変さである)、自分はこの科目を今期のメインと位置付け優先的に時間を割いていたのでハンデがあった事は重々承知しているのだが、政治学部生と経済学部生の間の超えられない数学力の壁を感じ劣等感を抱えていた自分にとって、経済学部生とハンデつきであれ同じ土俵で戦えたことは、理論研究者を目指す資格を得るという点で大きな意味があった。また、この授業ではTAの方から学期の最初に証明の書き方についての指導があり、毎回の課題の採点でも他の授業では考えられないほど丁寧な添削を行って下さったため、証明の書き方への意識が向上した点も大きな収穫である。

肝心の内容への理解度については、前半は「授業・教科書・課題」の内容がクリアに対応していたため勉強がしやすく、授業に出て教科書で復習しながら課題を解くだけで何も考えなくても自然と学習が捗ったのだが、後半になると教科書がなくなり課題も必ずしも授業内容を満遍なくカバーするわけではなくなったため、ただ課題を解くだけでは授業内容を理解しているとは言えない状況になってしまった。期末試験はそれなりに満遍なく出題されたため復習の機会は得られたものの、課題や試験で触れられなかったため理解できないままにしてしまっているトピックも正直それなりに存在する。それらのトピックも今後論文を読んでいる際に登場したら、それを機会に復習する事にしたい。

今後教える側に回った時への教訓を述べるとすれば、TAになったら今回の授業と同様証明の書き方について指導を行いたい(理論研究者にならない場合証明の書き方自体は直接的に重要でないかもしれないが、言葉のみの議論ではついごまかしがちな論理展開を、言葉と数式の両方を用いながら一つ一つ丁寧に積み重ねて文章を書くという経験は論理的な文章を書けるようになるために重要だと思うので、実証研究者志望の学生にとっても役立つはずである。教員になったらそこまで手が回るかは分からないので、採点業務が主な仕事であるTAのうちにそのような指導ができたらいいなと思う)という事と、教員になったら「授業・教科書・課題」の3要素をクリアに対応させ、学生が自然と理解を深められるような授業にしたいと思う。今期のメインと位置付けた授業だけあって、内容・形式共に学びの多い授業だった。

 

U.S. Political Behavior

制度論と並んでアメリ政治学の2本柱である、行動論の授業である。自分にとってこの授業に対するモチベーションは、合理的な行動を仮定してもそれほど問題ない政治家や官僚と違って、どのようにモデリングすべきかいつも悩ましい有権者の事を理解したいというものだった。そのようなモチベーションで臨んだものの、やはりほぼ全てがインフォーマルな議論である行動論に興味を持続させるのは中々難しかった。その結果、自分の報告回については「有権者は明確な選好を持つか」や「選挙においてアカウンタビリティを問う事ができるか」といった関心の強いテーマを選択する事で誰よりも入念な報告ができたと自負する一方、それ以外の回については議論への参加が少なくなってしまった事が反省点である。

理論であれ実証であれ、研究を議論する際には実体的な議論と方法論的な議論が存在し、理論・実証共に数学的フレームワークに沿って行われる方法論的な議論については両者のスタイルにそれほど違いがあるわけではないと思うのだが、実体的な議論に関しては、理論と実証とでスタイルが大きく異なると思う。理論は数式を共通理解のベースとしてそこにどう変更を加えるかという形で議論するため議論が拡散する可能性は低い一方、実証の議論は様々な可能性を高い自由度で検討するブレインストーミング的な性格が強い。理論研究者にはありがちかもしれないが、自分はなるべくTrivialな意見は言いたくないという思いが強く、他の人の意見をふまえて面白い意見を言おうとアイディアを練っているうちに議論が終了してしまうという事が多かった。インフォーマルな議論はいわゆる正反合のプロセスを辿るのが難しく正、正'、正''...といった展開になってしまいがちで、頭の回転が速い人なら即興で反と合を繰り出し建設的な議論へと導く事ができるのだろうが、思考が遅く文章を書きながら考えを整理したいタイプの自分には、瞬発力が求められる実証の議論は難しいものに感じた。だからこそ事前にじっくりアイディアを練って議論に参加すべきだったのだが、興味が湧くトピックが少なくそれも限定的になってしまったのが残念である。

授業形式について感じた事は、やはり「議論にスライドはあった方がいい」という事である。この授業では報告時にスライドやレジュメを配布する義務はなかったので自分以外は全員口頭で済ませていたのだが、スライドがあった方が議論が追いやすいのはもちろん、各文献に最低一つは必ずDiscussion Questionを付けなければならないという意識が芽生える(実際、口頭の報告だとざっくりと「どう思いますか?」とDiscussion Questionを聴き手に丸投げする人もいた)し、文献間の関係や各回の全体像もスライドを用意する過程で見えてくる。したがってスライドを用意する事は、聴き手を補助し有意義な議論を促進するだけでなく報告者自身の考えを整理する事にも役立つので、義務はなくてもスライドは作るべきと考えその流れを作りたかったのだが、人望の無い自分は誰にも影響を与える事ができなかった…。また先学期の授業で課されていた「毎回の授業前に提出する1ページの予習ペーパー」も恋しくなった。サブスタンスの授業はその分野が専門ではない学生も受けるので、強い興味がなければ予習を簡略に済ませてしまうのは当然の反応だが、それでも全ての文献に対して何か一つでもアイディアを捻りだしそれぞれに数行のコメントを書くという作業は、サブスタンスの授業の予習としてベストなものだと思う。スライドの作成にせよ予習ペーパーの執筆にせよ、義務化しなければやらない人が殆どだと思うが、ほんの少しのもう一手間で予習の質が格段に向上するなら、教員がそれらをナッジとして課す事が望ましいと思う。

 

今期は授業が少ないぶん2nd-year Paperを進捗させようと思っていたが、実際にはVisitorとして来られた外部の先生も含めて、色々な先生からコメントを集めるという作業に終始した。だが冬休みが1か月あるので、冬休み中にそれらを全て反映させMPSAに提出しても恥ずかしくない程度まで一応完成させるのが目標である。来期は2年目の終わりという事で、いよいよ「学生」も終わりに近づいてくる。経済学部生に比べて1年遅れで経済数学やミクロのコアを受講している自分はようやく来期に教科書的な学習を完成させ、論文ベースのインプットに移行・より高いレベルの理論研究に着手できる準備を整えるという重要な学期になる。「数理政治学を研究している」と胸を張って言えるような理論への体系的理解を得る事が、来期の目標である。