数理政治学の勉強は学部レベルは自習も可能だが、大学院レベルは授業を通じた学習が効率的である。授業の意義は大きく3つあり、1)教科書を読むペースメーカーになる (予習)、2)難しい箇所を分かりやすく解説してくれ、分からない場合も質問できる (講義)、3)問題演習を通じて理解を確認できる (復習)、である。大学院の教科書は学部の教科書より分厚いのでペースメーカーなしに読破するのは大変だし、自力で理解するのが難しい所も増える。加えて大学院レベルでは市販の問題集が少ないので、授業が演習問題を提供してくれる価値も高い。そのため、学部以上に大学院では授業の意義が大きい。したがって、学部レベルの内容をここに挙げた本で自習した上で数理政治学が勉強できる大学院に進学し、大学院は授業を通じて勉強するという流れが理想的だろう。授業を受ける際の参考書として、大学院レベルの教科書も一応挙げている。
以下で定番の教科書を挙げている。学部レベルは主に日本語文献を挙げており、大学院レベルでは英語文献を挙げている。これは、慣れない分野はまず日本語で勉強した方が頭に入って来やすいが、基本を日本語で理解していれば発展的内容を英語で学ぶのもスムーズであり、大学院レベルでは英語文献の方が良書が多いという私の経験が反映されている。
読む順番は、学部レベルは好きなテーマから読んでいけばいい。大学院レベルは、修士レベル「数学→(ミクロ経済学・)ゲーム理論→数理政治学」→博士レベル「数学→ミクロ経済学・ゲーム理論→数理政治学」と進んでいくのが良い。ちなみに私は素直に修士課程の時に修士レベルの学習、博士課程の間に博士レベルの学習という形で進んでいて、私の出願結果をふまえるとこのやり方でアメリカの総合Top20に受かる可能性は高い一方、逆に総合Top10に受かるためには、修士課程までに博士レベルの数学を先取りしておく事が重要だと思う(受験戦略としては数学が得意だというシグナルになるからであるが、学習という観点からも、博士課程の進学先で経済数学の授業が開講されていない場合もあるので、修士課程までに学んでおく方が確実である)。
論文については、修士レベルの学習を終えると政治学の論文が、博士レベルの学習を終えると経済学の論文が読めるようになる。これは、一般的なPhDコア科目のレベル=論文の読者に想定される前提知識のレベルが、政治学と経済学とでそのように違うためである*1。
私自身も勉強中の身であるため不完全な部分も多いと考えられるので、この投稿は随時更新したいと考えている。
<レベルの説明>
学部教養レベル:数式はほとんど出てこない
学部専門レベル:数式がそれなりに出てくるが、高校数学でほとんど対応可能
博士レベル:経済数学(主に位相)が必要
数理政治学
・学部教養レベル:浅古泰史『ゲーム理論で考える政治学 フォーマルモデル入門』
・学部専門レベル:
国内政治…浅古泰史『政治の数理分析入門』
国際政治…石黒馨『グローバル政治経済のパズル ゲーム理論で読み解く』
・修士レベル:
国内政治…Scott Gehlbach, Formal Models of Domestic Politics 2nd Edition
国際政治…
Andrew H. Kydd, International Relations Theory: The Game-Theoretic Approach
William Spaniel, Formal Models of Crisis Bargaining
政治経済学…
Torsten Persson & Guido Tabellini, Political Economics: Explaining Economic Policy
Timothy Besley & Torsten Persson, Pillars of Prosperity: The Political Economics of Development Clusters (途上国政治)
方法論…Scott Ashworth, Christopher R. Berry, & Ethan Bueno de Mesquita, Theory and Credibility: Integrating Theoretical and Empirical Social Science(特に4章)
・博士レベル:David Austen-Smith & Jeffrey S. Banks, Positive Political Theory II: Strategy & Structure
ゲーム理論
・学部教養レベル:鎌田雄一郎『ゲーム理論入門の入門』
・学部専門レベル:
浅古泰史・図斎大・森谷文利『活かすゲーム理論』
岡田章『ゲーム理論・入門 新版』&『ゲーム理論ワークブック』
・修士レベル:
ロバート・ギボンズ『経済学のためのゲーム理論入門』(英語より数学が得意な人向け)
Martin J. Osborne, An Introduction to Game Theory(数学より英語が得意な人向け)
Steven Tadelis, Game Theory: An Introduction(上でどちらを選んでも2冊目に読むと理解が深まる)
Nolan McCarty & Adam Meirowitz, Political Game Theory(上記の教科書に比べて分かりづらいのでメインの教科書にはお勧めできないが、各手法の政治学への応用例が書かれているので上記の教科書の副読本として良い)
・博士レベル:
Roger Myerson, Game Theory: Analysis of Conflict(コンパクト)
Drew Fudenberg & Jean Tirole, Game Theory(網羅的)
Ariel Rubinstein & Martin J. Osborne, A Course in Game Theory(数学的)
ミクロ経済学
ミクロ経済学を勉強する理由…ゲーム理論とは複数の個人が集まった時の現象を分析するツールであり、そのためにはまず個人の意思決定について勉強するのが自然である。(具体的に言うと、ゲーム理論の「利得」とはいったい何だろうか?金銭的利得なら分かりやすいが、より抽象的な効用を考えている場合、どのような時に効用に数字を割り当てる事ができるのだろうか?また、不確実性のある中で意思決定をしなければならない場合、リスクに対する選好(ギャンブル好きかどうか)によって意思決定も変わってくるのではないか?)ミクロ経済学では最初の意思決定理論で個人の意思決定を学べる他、それ以外にも政治学にとって重要なトピックが多数含まれている(具体的には、意思決定論理論、ゲーム理論に加え、契約理論、社会的選択理論、メカニズムデザインも重要である)。本来はミクロ経済学で習得できる方法論的内容を政治学の例で学べる事が理想的で、実際それに近い教科書も存在するし(McCarty and Meirowitz, Political Game Theory)、独自のカリキュラムを模索している大学も存在するが (ex. Rochester, Chicago)*2、今のところメジャーな選択肢はテキストが豊富なミクロ経済学を勉強してしまうというものである。ただし前半の価格理論については政治学にとって重要なトピックはごく一部であり、学部レベルについては教養として勉強しておいても損はないが(経済学の論文を読む際に出てくる事があるので基本的な概念は知っておいた方がよいが、どうしても興味が湧かなければそのせいで数理政治学の勉強を諦めてしまうほど重要ではない)、大学院レベルは量が増え難易度も上がるため必要な部分だけを学習すれば良いと思う*3。修士レベルまでは価格理論のウェイトが大きく、学部専門レベルから直接博士レベルに行ってもそこまで問題がないと考えられるので、修士レベルのミクロ経済学は関心がある人だけでよいと思う(そのため冒頭の「読む順番」でもカッコをつけている)。
・学部教養レベル:
ジョセフ・E. スティグリッツ『スティグリッツ ミクロ経済学』
N・グレゴリー・マンキュー『マンキュー経済学I ミクロ編』
・学部専門レベル:神取道宏『ミクロ経済学の力』&『ミクロ経済学の技』
※この間のレベルの教科書としてWalter Nicholson &Christopher Snyder, Microeconomic Theory: Basic Principles and Extensionがあり、アメリカでは数学が得意な学部生向けの授業や、公共政策修士課程の経済学部出身者向けの授業などで使われている。分かりやすいので自習に役立つ一冊。
・修士レベル:Hal R. Varian, Microeconomics Analysis 3rd Edition
・博士レベル:
Andreu Mas-Colell, Michael D. Whinston, & Jerry R. Green, Microeconomic Theory(通称 MWG)
David M. Kreps, Microeconomic Foundations I: Choice and Competitive Markets & Microeconomic Foundations II: Imperfect Competition, Information, and Strategic Interaction
契約理論
ミクロ経済学の中で情報の経済学と呼ばれる内容を詳しく扱っている分野で、政治学ではプリンシパル・エージェント理論という名前で親しまれている。政治学への応用性が高い分野なので、同レベルのミクロ経済学の教科書を読んだ後にこれらの本でより理解を深めたい。
・学部専門レベル:石田潤一郎・玉田康成『情報とインセンティブの経済学』
・博士レベル:
Patrick Bolton & Mathias Dewatripont, Contract Theory
伊藤秀史『契約の経済理論』
社会選択理論
投票制度を分析するミクロ経済学の一分野で、これについては応用性が高いというよりダイレクトに政治学と関心を共有する分野なのでどこかのタイミングでぜひ勉強しておきたい。
・学部教養レベル:坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』
・学部専門レベル:坂井豊貴『社会的選択理論への招待 投票と多数決の科学』
・博士レベル:David Austen-Smith & Jeffrey S. Banks, Positive Political Theory I: Collective Preference
メカニズムデザイン
メカニズムデザインの基本及びその政治学への応用については上に挙げたAusten-Smith & Banks, Positive Political Theory IIの2,3章が扱っているが、Robust Mechanism Design(メカニズムデザイナーが知っている情報を減らした下でのメカニズムデザイン)やDynamic Mechanism Design(メカニズムの参加者が複数回に渡って私的シグナルを受け取ったり、メカニズムの遂行が複数回に渡って行われる)といった発展的トピックを勉強したければ以下の教科書を読むのが良いだろう。
・博士レベル:Tilman Borgers, An Introduction to the Theory of Mechanism Design
数学
高校で数ⅡBまで勉強している人であれば、学部レベルの数理政治学を勉強する上で数学の勉強はほとんど必要ない。しかし修士レベルになると最適化問題や比較静学といった内容を知っている必要があり、博士レベルでは位相を中心とした経済数学に関する知識も必要になってくるため、それぞれ修士課程の初め、博士課程の初めに勉強するのが望ましい。ただしこの投稿の最初に述べた理由により、少し先取りしてそれぞれ学部4年、修士2年辺りで勉強しておく方が得策かもしれない。
紹介している教科書はいずれも数学書ではなく経済数学の教科書である。理由は2点あり、1つ目は、数学は「どう使うか」という応用とセットで学ぶ方がモチベーションが湧くため頭に入ってきやすいという点、2つ目は、数学書は経済学・政治学では使わない内容も含んでおり自力で取捨選択するのが難しいためである。
・修士レベル:
Will H. Moore & David A. Siegel, A Mathematics Course for Political & Social Research
A.C. チャン & K. ウエインライト『現代経済学の数学基礎 第4版上・下』
Carl P. Simon & Lawrence Blume, Mathematics for Economists
Moore & Siegelは、政治学において数学がなぜ重要なのかというモチベーションを与えてくれるため1冊目として最適である。コンパクトかつ説明が丁寧なので通読に適しており、この本に書いてある内容が分かっていれば修士レベルで困る事はあまりない。ただし説明が分かりづらい箇所があったりカバーされていないトピックもあったりするので、チャン&ウエインライトやSimon&Blumeを辞書として併用するのがお勧めである。
・博士レベル:
Efe A. Ok, Real Analysis with Economic Applications
Nancy L. Stokey, Robert E. Lucas, & Edward C. Prescott, Recursive Methods in Economic Dynamics
Charalambos D. Aliprantis & Kim C. Border, Infinite Dimensional Analysis: A Hitchhikers Guide
経済数学の中で修士レベルの教科書でカバーされていないのは恐らく、位相 (Real Analysis)*4、測度論的確率論 (Measure-Theoretic Probability)、動的計画法 (Dynamic Programming)である。位相はOk、測度論的確率論とその応用としての動的計画法はStokey, Lucas, & Prescottで学ぶ事ができる。Aliprantis & BorderはOkのアドバンスト版でかつ測度論までカバーしているので、万が一上記2冊に載っていない数学に出くわした時の最後の砦的な存在である。著者が経済学者なのでトピックの取捨選択という点ではよいが、応用例は載っていない。あまりお世話になる事はないと思うが、一応保険として知っておいて損はないだろう。
*1:このページにおける「レベル」は、経済学のレベルに合わせている。というのも、理論については経済学のレベルに合わせて勉強する事が重要だと思うからである。トップスクールの政治学博士では、1年目のコア科目で経済学修士レベルの計量・数理、2年目の選択科目で経済学博士レベルの計量・数理、というカリキュラムになっている。そして多くの人は自分が専門とする手法の選択科目のみを受けるので、結果的に全員の共通知識は経済学修士レベルの計量・数理になる。したがって総合誌では、経済学修士レベルの知識を前提とした説明が求められているように思う。他方経済学では総合誌でも経済学博士レベルの知識を前提とした説明がなされるので、少なくとも理論研究については経済学のジャーナルの方が難しい論文が多い。政治学の理論研究が分かりやすく書かれている事には良い面と悪い面があると思っていて、良い面は、難しい内容を簡単に説明するには内容をより深く理解していなければならないので、書き手自身の理解を確認できるという事である。悪い面としては、分かりやすくするために説明が長くなってしまいコンパクトな記述が難しい(理論家は簡潔さを美徳とする傾向がある)という事や、分かりやすい説明にも限度がある高度な内容を論じる場合、「難しすぎる」という理不尽な理由でリジェクトされかねないという事である。政治学と経済学どちらの状況が望ましいかは難しいが、ポジティブに捉えれば2つの選択肢があるという事である。数理政治学者は政治学のジャーナルでのパブリッシュを目指す事が多いと思うが、政治学のジャーナルでパブリッシュが難しいような高度な研究については経済学のジャーナルでのパブリッシュを目指すという柔軟な対応をすればいいだろう。
*2:もし自分が大学院の数理政治学のカリキュラムを設計できるなら、1年目のコア前期はTadelis, Game Theory: An Introductionをメインの教科書(ただし日本で授業する場合は最初の参入障壁を下げるためにギボンズ『経済学のためのゲーム理論入門』を使うかもしれない)にして意思決定理論 (10%)→ゲーム理論 (80%)→社会的選択理論/メカニズムデザイン/情報デザイン (10%) の順でカバーし(契約理論に関しては経済における契約と政治における契約は性質が異なるため、応用理論の授業で学んだ方がいいと思う)、コア後期はGehlbach, Formal Models of Domestic Politicsを使った国内政治コアとSpaniel, Formal Models of Crisis Bargainingを使った国際政治コアから選択、2年目は特定のトピックの論文(国内政治であれば選挙、議会、官僚制、アカウンタビリティ、利益団体、権威主義、体制転換などから一つ。まだ発展途上だが、有権者、政党、司法のモデルも将来的にここに加わってくるだろう。)をサーベイするトピック科目から成るカリキュラムにしたい。
*3:必要な部分と言っても初学の段階では判断が難しいと思うので、紹介している教科書に即して具体的に示す。学部専門レベルは『ミクロ経済学の力』で言うと、第1部「価格理論」の1章5節まで(個人の意思決定)と、第2部「ゲーム理論と情報の経済学」の全てが重要である。博士レベルはMWGに即して示すと、第1部「個人の意思決定」の3章D節「効用最大化問題」までと6章「不確実性下の選択」、第2部「ゲーム理論」、第3部の13・14章(情報の経済学)、第5部の21・23章(社会選択理論・メカニズムデザイン)が重要である。こうして見ると、政治学にとって重要な部分はミクロ経済学の6割程度(前半の一部+後半のほぼ全て)という事になる。以上を授業を通じて学習する場合、前半の価格理論は聴講して必要な部分のみ学習し、後半のゲーム理論・情報の経済学等は通常に履修するのがベストだと思う。もし前半を履修しないと後半が履修できないのであれば、価格理論への関心の強さに応じて、前半・後半通じて履修するか聴講するかを選べばよいだろう。
*4:位相は英語でTopology、Real Analysisは日本語で実解析なので本来は別の分野を指しているはずなのだが、なぜか日本の経済学で位相と呼ばれているものはアメリカの経済学ではReal Analysisと呼ばれる事が多い。呼び方が分かれた経緯は分からないが、WikipediaのReal Analysisのページには「実解析の多くの定理は実数直線が持つ位相的性質の帰結である」との記述があり、対象で呼ぶかその性質で呼ぶかという違いなのだろう。