大学院は学部に比べて学生が少なく、ロチェスター大学政治学部のように小さなプログラムともなれば、教員も大学院生も各30人程度という小さなコミュニティになる(クラスで言えば2クラスくらい)。これだけ小さなコミュニティなのに、一切見た事も話した事もない相手がいるというのはもったいない話である。したがってコミュニティとしての一体感を出すために、年度初めに始業式代わりのイベントを行う大学院は少なくないのではないだろうか。(うちの大学院ではこんなイベントがあるよという事があれば、ぜひコメント欄で教えて頂きたい。)うちの学部の場合は毎年BBQが恒例だったのだが、今年は真面目な学部長によって「院生によるポスターセッション兼立食パーティー」という真面目なイベントに置き換えられる事となった。BBQ愛好家からブーイングを受けたのは間違いないが、参加率としては昨年のBBQも今年のポスターセッションも教員学生ともに半々と言ったところで、コミュニティの結束を図るという観点からは、どちらもそこそこの機能を果たせそうである。
そこで他の観点から、「レクリエーションに振り切る」のと「レクリエーションと仕事の間のバランスを取る」のとどちらが良いかという話になるが、後者の方がメリットが大きいのではないかというのが、今回感じた事である。昨年BBQに参加した感想として、どんなにイベントがレクリエーションに振り切ろうと、先生や同僚と盛り上がるのは結局研究の話であり、それなら「パーティーで仕事の話をするのはご法度と言われる事もあるし…」と気を遣わずに済むよう、初めから研究の話がしやすい空気の方がありがたい。大学内のちょっとしたスペースで行われる立食パーティーは、気軽な雰囲気で真面目な話ができるちょうどよいバランスを突いていると感じた。
さらにそこにポスターセッションを加えると、教員と学生が自然と混ざり合って交流する形となり、教員と学生が完全に別のブロックを形成してしまうのを避けられるというメリットが生まれる。もちろんポスターセッションであろうと教員のみ・学生のみの輪はできるが、学生と交流したい先生・先生と交流したい学生にとっては、先生が勇気を振り絞って学生の輪に入ったり(ほぼ不可能な)その逆を学生が演じたりという無茶を強いられる事無く、自然とポスターが集いの場になってくれるのは大きなメリットである。報告者はポスターという公共財を提供する見返りに、論文報告の経験を積む事ができる。秋学期の初めには毎年アメリカ政治学会があるので、それに向けた肩慣らしにもなるというのが、伝統あるBBQを廃止する際に学部長が正当化に用いた大義名分である。
また学生の観点から良いと思ったのは、「指導熱心な先生を識別できる」という点である。BBQという完全なレクリエーションであれば、出席しなかったからといって「不真面目」という烙印を押される事はないが、ポスターセッションという事になれば、教員としてなるべく参加しなければならないという義務感が多少なりとも生じる。こうした「任意参加ではあるが出席が望ましい研究関連のイベント」に積極的に参加する先生は、学生の指導も積極的に行ってくれる可能性が比較的高いと思う。とはいえ出席しても他の先生と固まってばかりで一向に学生と話そうとしない先生もいるので、そういう人はかえってマイナスな印象を与える事になる。逆に最もプラスな印象を与えるのは、ポスターを回り報告者の学生と議論しているような先生である。こういう人はほぼ間違いなく指導熱心な先生だとみてよいだろう。
今回の会での個人的目標は、研究へのフィードバックをお願いしている先生3人と話して直接リマインドをする事であり、これは何とか達成する事ができた。会の最後にはその3人中2人と同時に話していたのだが、理論家同士の雑談(カリキュラムのあり方等)に参加できたのは自分も理論家の輪に半分仲間入りできた気がして嬉しかった。総じてみれば今回のイベントは、自分にとって「今年度も頑張ろう」という始業式としての基本的役割を果たしたと言えるだろう。高校までの始業式というのは、形式的に全校生徒が集められるだけで「今年度も学業に邁進しよう」などとは微塵も思わなかったのだが、このような楽しいイベントであれば、私のような不良学生でも毎年つい参加してしまうかもしれない。