これまでの投稿は、アメリカ政治学博士課程受験における情報の少なさに対する危機感から、政治学専攻の学生が少しでも留学しやすくなればとの思いで執筆してきた。したがってこれらの投稿はやがて多くの方の目に触れる事を期待して、役立ちそうな情報に絞った(没個性的な)記述を心掛けたつもりである。しかし今後はより自由に留学の記録を残していきたいと考えているので、その前に私がどのような人間であるか、改めて自己紹介をしたいと思う。
「なぜ政治学を勉強しているのか」
自己紹介で「政治学を勉強しています」と言うと、必ずと言っていいほど「なぜ?」という質問を受ける。私の場合は元々外交官を志望していて国際政治学に興味があったため政治学専攻を選んだというのがきっかけであり、時間がない時の簡単な返答として乱用しているが、私が政治学に強い興味を持ち政治学者を目指し始めたきっかけは別にある。それは、大学2年時に『比較政治制度論』という本を読んだ事である。この本は「政治制度を因果関係で捉える」という視点から、政治制度は政治に対してどのような影響を及ぼすのか(独立変数としての政治制度)、また逆に政治制度はどのように形成・変化するのか(従属変数としての政治制度)という内容を論じており、政治は科学的に理解できるのか!という感動を与えてくれた本だった。
制度との出会い
その後政治制度を超えてより一般に制度というものに興味を持ち、青木昌彦、ダグラス・ノース、アブナー・グライフといった制度研究の巨頭たちの著作に触れる中で、「制度と人間の相互作用」(すなわち、制度がルールとして人間の行動に影響を及ぼす一方、人間の行動の帰結として制度が形成・変化するという事)が人間社会の基本構造であるという理解に至り、制度を理解する事が人間社会の本質を理解する事になるだろうとの思いから制度研究を志した。
少し脇道に逸れるが、ここで制度とは何かイメージを持つために具体例を考えてみたい。例えば大学という存在の本質は何だろうか。「キャンパス」というのが自然な回答かもしれないが、しかしもし私が大金持ちだとして、自分の敷地に校舎を建設して勝手にそれを大学だと称しても、それを世間は大学とは認めてくれないだろう。そこに通う学生や教職員が持っている、その場所が大学だという「共有信念」こそが、大学という制度を支えていると言える。こうして人々によって作られた制度は、翻って人々の行動に影響を及ぼしており、これがまさに上記で述べた「制度と人間の相互作用」である。制度の本質は共有信念にあるので、法律や規則といった明示的なものだけでなく、規範や慣習など暗黙のものも含んでいる。このように考えると、人間社会の非常に多くのものが制度という視点から理解できる事に気がつくだろう。
「なぜ政治学を勉強しているのか」(再)
話を戻すと、こうして制度に強い興味を持ったものの、制度に関する基礎研究は上記の先人たちによってかなりの程度完成を見ており、自分がこれに対して何かを付け加えるというよりも、それらの知見に立脚した応用研究として何らかの制度を研究する方が、実りある研究者人生になるだろうと考えた。そこで今度は逆に抽象度を下げて具体的な制度を探し始めるわけだが、色々と社会科学を勉強してみる中で結局政治制度に対して一番強い興味を感じたため、最初のきっかけに戻り政治制度研究者を志望する事になったのである。
そのため「なぜ政治学を勉強しているのか」という問いに対しては「色々と勉強してみて一番面白かったから」というのが正直な答えではあるのだが、後知恵で考えてみるともう一つ思い当たる理由がある。すなわち、政治というと政治家や官僚といった人間に焦点が当たりがちで、「政治が良くないのは政治家のせいだ」といった言説がなされる事が多いが、政治家も制度(ルール)が与えるインセンティブに反応した行動を取っているはずなので、制度を最適に設計する事でプレイヤーである政治家を導き、政治をより良いものにできるのではないか、という可能性への興味である。
「なぜ数理政治学を勉強しているのか」
その上でなぜブログのタイトルにもある数理政治学なのかという点だが、それはメカニズムデザイン・マーケットデザインという分野の存在が影響している。メカニズムデザインは制度設計に関する基礎的研究、マーケットデザインはそれを経済制度の設計に応用したもので、オークションやマッチングといった分野で現実に応用されるまでの発展を遂げている。メカニズムデザインの応用分野として、マーケットデザインと同様の理論体系を政治制度についても構築できないだろうかというのが、私のモチベーションである。数学を使わずとも有意義な議論を行う事は可能だし(例えば上でも触れたノーベル経済学賞受賞者ダグラス・ノースの著作は基本的に言葉で記述されている)、逆に数学を使う事で見た目ばかりが美しい議論に出くわす事もある。したがってなぜ数学を用いるのかという事は理論家として常に意識しなければならないが、少なくとも制度設計という繊細な営みを理論化するに当たっては数学による厳密な議論が必須であろうという事を、メカニズムデザイン・マーケットデザインの発展から感じ、数理政治学を専攻するに至ったのである。
加えて、政治学はまだ経済学に比肩するような理論体系を持たないが、政治学が単なる雑多な知見のカタログではなく科学の一分野として理論的に体系化する事に貢献したいという気持ちもあり、そのためには議論を構造化するための数理化というステップが不可避であろうというのも、数理政治学を勉強している理由の一つである。Formal Models of Domestic Politicsという数理政治学教育の出発点と言える体系書に出会った事でこの思いは強まり、これが著者のいるシカゴ大学の修士課程に進学する理由となった。
京大、シカゴ、そしてロチェスターへ
実は『比較政治制度論』も私の出身である京大の先生方が書かれた本で、学部で京大、修士課程でシカゴに行った事は、自分の研究者としての人格形成に対して多大な影響を及ぼしている。ロチェスターには政治制度の数理モデルを専門とする先生や、メカニズムデザインに詳しい先生もいる。京大で政治制度、シカゴで数理政治学を学び、ロチェスターでようやく両者が交わる事になるので、博士課程を修了後に再び自己紹介を書く事があるとすれば、ロチェスターでの経験もふまえたより長いものになってしまうのだろう。