Comparative Politics and Formal Theory Conferenceという、中々にニッチな学会に参加してきた。ニッチと言うのは、以前の投稿でも書いたように比較政治学と言えば実証研究中心の分野で、「比較政治学は実証研究である」と明示的に述べる大学もあるくらいだからである。そんな中、自分と同じ志を持つ研究者が少なくとも数十人いるという事実を確認できただけでも、心強い思いがした。また、今回も今まで紙面や画面上でしか見た事の無かった憧れの研究者の話を間近で聴くことができ、また少しアメリカの研究コミュニティに親近感を覚える事ができた(その人はホームページの写真からはクールな人柄を想像していたのだが、実際のキャラクターはとてもチャーミングで心温まった)。
今回は初めてポスターセッションにも参加でき、イメージとしてはポスターをスライドとして用いながら、人が訪れるたびに数分の短いプレゼンを繰り返し行い続けるというイベントである。ポスターセッションにおいて大変なのは、意外にも聴き手の方なのではないかと思う。話し手は毎回同じ話をするだけでよいが、聴き手は1対1で確実に何か質問しなければいけない状況で、即興で有意義なフィードバックを行うのはプロでも至難の業だろう。自分はまだそのような技量を持ち合わせておらず、ただ話を聴いてお礼を言う事しかできない自分に対して丁寧に研究を説明してくれたNYUの先輩方に感謝したい。ちなみに自分の指導教官は、瓶ビール片手にHarvardの学生を細かい指摘で詰めていた。
学会を通じた発見としては2つあり、まずは「一流研究者と言えどプレゼンスキルは千差万別」という事である。理系で頭のいい人にありがちな「文字をビッシリ詰めたスライドを、ポインター等も使うことなく単調に表示しながら、ひたすらぼそぼそと早口でしゃべり倒す」というスタイルが散見された。これはプレゼンではなくモノローグであり、聴衆にとっては退屈この上ない。もはやプレゼンより論文を直接読む方が効率が良いと感じてしまうほどである。これはネイティブほど要注意で、特に早口な人が多いアメリカ人はこのパターンに陥りやすい。結果として今回の学会で一番プレゼンが素晴らしかったのは中国人の教授で、発音は少し違和感があるが聞き取りづらいという程ではないし、むしろ情報量を必要最低限に抑えてゆっくりと進めているぶん論理展開もクリアで、予習なしでも問題なくついていく事が出来た。とりわけFormal Theoryは少しでも論理展開に分からない所があると後の理解に響いてしまうので、これくらい一歩一歩着実に聞き手を導くようなスタイルが最適だと思う。自分も今後プレゼンをする時は、スライドの枚数を抑え、一枚のスライドの中の情報量も抑え、「このプレゼンを通じてこういう学びを得た」という感覚を確実に多くの人に持ち帰ってもらえるようなプレゼンを目指したいと思う。プレゼンとは、聴き手のためになる話ができて初めて、有意義なフィードバックをもらえるという相互的な営みである。そうした基本原則を体現したプレゼンは、今回の学会では上記の中国人教授くらいしかできていなかった。自分の話したい事を詰め込んだ(そして往々にして時間内に終わらない)独りよがりなプレゼンをする一流研究者が意外にも多い事が分かり、ノンネイティブの自分だからこそ、この点は一つ勝負していけるポイントだと感じた。
次に、参加者は大きく「頻繁に質問する人、全会を通じて一回だけ質問する人、一度も質問しない人」という3タイプに分かれる事が分かった。経験上、プレゼンに興味を持って集中して聴く事ができていれば、一つのプレゼンに対して必ず一つは疑問が湧くものである。したがって興味のマッチする学会に参加できているのであれば(わざわざ遠方まで出向いて貴重な数日を投じているのだからこの判断は正確なものでなければいけないが)、必然的に頻繁に質問する事になる。なので2番目や3番目のタイプの人たちは、集中して話を聴けていないと推察される。理由としてはいくつか考えられるが、まずは上記のようにプレゼンの話し手に問題がある可能性が考えられる。話し手が聴き手を引き込むような話し方をできていないせいで、興味が薄れ集中力が切れてしまうのである。良いプレゼンの後には質問が相次ぐものなので、質問があまり出なかったら、このパターンが発動したと見てよいだろう。今回の学会でも多々見受けられた。
ただ、聴き手の側にも全く落ち度がないわけではない。興味のある論文は予習していったり、「絶対に何か質問するぞ」と前のめりに話を聴くといった少しの心がけで、プレゼンは何倍も楽しいものになる。今回の自分の経験では、「元々強い興味がなかったので予習していなかったが、プレゼンが上手だったので集中して聴けた結果疑問が湧き、質問しようとできた(が時間不足で順番が回ってこなかった。これは多くの質問を誘発した話し手側の成功の証左でもある)」というパターンと、「興味があり予習していたため、プレゼンは上手ではなかったが集中して聴けた結果、聴きながら疑問が湧き実際に質問できた」というパターンがあった。そのため、話し手か聴き手かいずれか一方でも努力すれば、プレゼンは楽しいものになるのではないだろうか。1番目のタイプの人たちは、そうした小さな努力を数十年間積み重ね続けている人たちなのだと思う。そういう人たちは実際研究面でも業績が素晴らしいし、研究者としてのロールモデルである。かくいう自分は質問が1回、質問未遂が1回と、結果として2番目のタイプに分類されてしまう存在である。このタイプの人たちは、一番興味の湧いた論文だけしっかりと予習して臨んで集中して聴き、後は内職したり何となく聴いたりしている可能性が高い。でも3番目のタイプの人たちとは違うのは、「せめて一度は発言しなければ参加している意味がない」という危機感を持っている事だと思う。自分は初の対面学会である前回から2番目のタイプとしてキャリアをスタートさせ、今回は1番目のタイプへの昇格を試みたが惜しくも2番目のタイプに残留してしまったので、次こそ1番目のタイプへの昇格入りを目指したいと思う。