Rochesterで数理政治学を学ぶ

アメリカ政治学博士課程留学サンプル

留学お役立ち情報①英語漬けをやった方がいい場合・やらない方がいい場合

私はこれまで学部交換留学、修士課程留学、博士課程留学と3度に渡って留学をしており、なおかつ交換留学ではひたすらリーディングとレポート執筆を繰り返す文系的な留学を、修士留学では逆にProblem Setと試験が中心の理系的な留学を経験した。したがって、留学に関してユニークな観点を獲得できているという可能性をもしかしたら否定はできないかもしれない。そこで、留学において多くの人が迷うと思われる2つの点について、私の考えをまとめておきたい。特に、初めての留学を控えている方、あるいは留学中という方に読んで頂きお役に立てたら嬉しいなと思う。今回は英語との付き合い方一般について、次回はその中でも文系留学の多くの時間を占めるリーディングについて書きたい。

留学すると「英語漬けにして英語力を一気に上げよう」と考えがちだが、これは人と状況を選ぶ戦略だと思う。すなわち、英語漬けをお勧めするのは
i. 英語や現地の文化が大好きで、日本語や日本人に触れない事が全くストレスにならない人
ii. 1~2か月以内の短期留学
である。順に説明しよう。

i については私の経験をお話ししたい。私は1年の交換留学で「なるべく日本語に触れない・日本人と関わらない」という典型的な英語漬けを試みたが、最初の数か月で限りなくストレスを溜めて鬱に近い状態になった後、日本人留学生の食事会に行って朝までしゃべり明かした結果精神的に回復したという経験を持つ。それまで私は「日本語が好き」などとは一度も思ったことがなかったのだが、自分のアイデンティティーにとって日本語がいかに重要であるかをその時思い知ったのである。それ以降、日本人との交流会には月1回程度積極的に参加し、そこでストレスを発散するようにしていた。

また、振り返ってみると日本語を「話す」事だけではなく「書く」事も重要だったと思う。私は奨学金団体に提出する留学体験記を指定字数の何倍も書いていたが、留学中の気づきを日々そこに書き溜めていたのでそういう事になったのである。よく「英語の上達のために日記を英語で書け」とか「独り言は英語で言え」と言われる事があるが、私のように日本語で考えを整理する事が精神的に重要な意味を持っている人には「日本人なのだから独り言くらい日本語で言わせてくれ」という話であり、こういった英語漬け的な勉強法は向かないと思う。

さらに私の場合は、留学を通じて日本語だけでなく日本人文化(そこまで高尚な話ではなく日本人のノリという意味)に対する共感を強める事になった。アメリカ人やヨーロッパの人々は一言で言えばパーティーピープルが多く、何度かパーティーにも参加してみたがノリに全くついていけず参加を諦めた。もちろん西洋にも日本人のように落ち着いたノリを持っている人もいるのだが、そういう人達はパーティーに来ないのでサークル等に入らないと出会いようがない。しかし留学中は勉強で忙しくサークルに入っている余裕もないので、相性の良い現地の友人を作るのは至難の業なのである。私の場合は運よく一学期に一人ずつ友人が出来たのみだった(一人は同じ留学生の中国系オーストラリア人、もう一人はインターン先で同僚だったアメリカ人)。

以上をまとめると、私にとって日本語を使用する事・日本人の友人と関わる事が精神衛生を保つために不可欠であり、これらを絶って英語漬けをしたり現地の文化に染まったりするというのは極めてストレスフルであるため継続的ではないのである。英語や現地の文化が大好きで、日本語や日本人に触れない事が全くストレスにならない人にはそうした留学生活は可能だろうし、英語力の伸びも早いと思うので羨ましいのだが、私と似たようなタイプの人(それは留学してみて初めて分かる事だと思うが)にとっては英語力を伸ばすために鬱になっては元も子もないので、極端な英語漬けはお勧めしない。英語力アップを目的とした留学であれば留学中毎日ずっと日本人と過ごしているというのは流石にお勧めしないが、それでもほどほどに日本語・日本人との関わりを持つのがお勧めである。

次に ii だが、私のようなタイプでも1~2か月という短期間なら英語力向上のためにストレスを溜めつつ頑張るという選択肢があり、これは挑戦する価値があると思う。私がリスニングではっきりとした向上を感じたのは留学開始から1か月と2か月が経過した2回の時点だったので、そこまでは英語漬けにしていて良かったと思う。他方で半年や一年の交換留学や、ましてや数年に渡る学位留学においては、これは精神的に不可能だろう。平日の日中は日本人である事を忘れて英語での勉強・研究に勤しみ、平日のフリータイムや休日はバリバリの日本人として生きるという二元的なライフスタイルに、私は最終的に落ち着いた。その一環として私は今日本語でブログを書いているというのが、この投稿のオチである。