ロチェスターで3度目の夏だが、今年は去年の反省を活かしてあらゆる策を講じた。まず「夏は報告する学会・ワークショップがないため短期的目標に乏しい」という問題に対しては、6月末に期末ペーパーの締切、7月半ばにDissertation Prospectus Defense (博論計画書の口述試験)、夏休み明けにAPSA、という形でちょうどよく1か月ごとに短期的目標を設定する事ができた。次に「夏は授業・ワークショップというペースメーカーがないためワーキングルーティーンが乱れがち」という問題に対しては、RAを2本引き受ける事でペースメーカーを確保する事にした。最後に「昨年は怪我で運動ができなかったためストレスを溜めがちだった」という問題に対しては、高校以来10年ぶりにサッカーチームに所属し、公式戦にも出場して週2回ほど積極的に体を動かした。このように万全を期して臨んだ夏だったが、それでも苦戦を強いられたというのは、7月の投稿を読んだ方なら想像に難くないと思う。
上に挙げた3つの問題のうち、やはり2つ目の「ペースメーカーの欠如」が最も致命的な問題であるという実感に基づいて書かれたのが上記の投稿であった。これについてはRAにより対処しようと思っていたが、ペースメーカーという意味では本命だった校正RAについては、残念ながら先生もまた夏の魔物に連れ去られてしまったようで、ほとんど仕事が送られてこなかった。研究RAについては、「少し作業して研究に向けてエンジンをかける」という役割が期待される校正RAとは異なり、研究RAをしていたら一日が終わってしまい、研究RA自体は頑張れたものの自分自身の研究へのスピルオーバー効果はあまりなかった。そういうわけで真夏のRA大作戦は不発に終わり、夏にペースメーカーを用意する事は容易でない以上、ペースメーカーに頼らないワーキングルーティーンの構築が必須であろうというのが前回の結論であった。だが予告した通り、これは言うは易しの極限事例であり、継続は難しそうというのが本音である。
自分にとって研究は、英語学習と似たような存在なのだと思う。英語学習はそこそこ好きだが、あくまで仕事上必要だからやっているのであって、趣味と言えるほど好きではない。同様に、研究は仕事としては好きだが、趣味として四六時中没頭できるほどには好きではない。英語学習も研究も趣味としてやっている人は一定数いて、そういう人達の方が明らかに伸びが速いので羨ましいが、自分には真似できない以上、あくまで仕事としてルーティーンを確立していかねばならないだろう。言い換えれば、これだけ長く続けられている英会話でさえペースメーカーに支えられた習慣である以上、研究もまたペースメーカーによる補助が必須であり、内面化された習慣とする事はどうやら自分には向かなさそうである。
では来年以降の夏をどう過ごしていくべきかという話だが、「夏に単著を進めるのは諦め、RAや共著に全振りする」という割り切った作戦が良いかもしれない。学期中は授業やワークショップといったペースメーカーを利用して単著を進め、ペースメーカーのない夏は、一人で頑張ろうとするのではなく他者と協力して乗り切るという方針である。やはり自分は精神論者ではなく制度論者であり、自分の尻を叩くよりも頭を捻る方が問題解決に繋がるという事実を再確認するのが、自分にとっての夏という季節のようである。