先月から経済理論セミナーに参加し始めた。自分が研究上読む論文の多くは専門である政治学の理論だが、隣接分野として実体的関心を共有している実証政治学、方法論を共有している経済理論は、視野を広げるために研究外で触れる機会を増やそうと考えた。実証政治学については詳細に立ち入らず要点を知れれば良いので、以前の投稿で紹介したように毎日一本イントロを読んで議論する習慣を始めたが、経済理論についてはイントロだけを読んでも実際にモデルを見ない事には何をやっているかイマイチ分からないし、かといって研究に関係ない論文の中身に目を通すのは気が進まないので、セミナーを通じて勉強するのがベストな関わり方だと判断した。
自分が強い興味を持つ分野よりも少し広い範囲のセミナーに参加する事は、それだけ「面白そうと思って参加してみたものの興味が湧かなかった」セミナーが増える事と不可分である。そこで私が最近大事にしているのは、「話を聴く事にコミットしないこと」である。面白そうと思って参加しているのだから最初の何割かは集中して話を聴くが、その間に内容面やプレゼンの形式面で興味が失われてしまえば、残り1時間以上無理して話を聴き続けようとはしない事にしている。興味の無い話をポーズだけ聴き続けてもほとんど何も頭に入ってこないし、集中力の無駄遣いだと思う。この「途中で話を聴くのをやめる」というのは、論文を読んでいて興味を失ったときに「途中で読むのをやめる」というのと全く同じである。論文はイントロしか読まない読者も想定して要点をイントロにまとめているので、「なんで最後まで読んでくれないんだ」と憤慨する著者はいない。同じように、セミナーの話し手もまた「なんで最後まで聴いてくれないんだ」とは思わない方が良いと思う。途中で話を聴くのをやめた人がいるなら、それはそもそも興味がマッチしていない(この場合はどうしようもないので悔やんでも仕方がない)か、自分の話が面白くないせいで聴き手を引き留められなかったと考えるべきだろう。私も研究報告で話す際はこのように考えるようにしている。
先日の経済理論セミナーはニッチな内容だったのだが、なぜ経済理論全般にとってその研究が重要なのかモチベーションが与えられる事無くいきなりテクニカルな話が始まった結果、普段たくさん質問している先生たちも黙り込んでしまい、その分野が専門の先生との応答ばかりになっていた。自分は上に述べた理由で途中で聴くのをやめ別の論文を読んでいたが、多くの参加者は真面目に話を聴き続けていた。ただ普段より質問が出ていない所を見ると、楽しく話を聴き続けていたというより、義務感でポーズだけ聴き続けていたのではないかと推察される。そのような生真面目さは捨ててしまってもいいのではないだろうか。もちろん途中退出するのはやり過ぎだし、スピーカーの目の前で別の事をし始めるのもけんか腰に過ぎるので、なるべく目立たない席に座るようにした方がいいが、PCやタブレットで論文を読んでいる分にはもしかしたら報告中の論文を見ながら聴いているのかもしれないと思ってもらえる(し実際そういう事もある)ので、明確に失礼な態度とはみなされないと思う。むしろ無条件に自分の話を聴き続けてもらえると考える方が傲慢な態度だと思うので、自分が話し手の際にも、聴き手に興味を持ち続けてもらえるための努力を欠かさないようにしていきたい。