まず前提として言わなければならないのは、アメリカは計量政治学・数理政治学の中心地であり、それらを専攻している学生にとって理想的な留学先である一方、質的研究は盛んではなく、質的研究を専攻する学生の留学先としてはイギリス等がより適しているという事である。(ただしアメリカ博士課程は多くの大学でTA業務と引き換えに5年間の学費無料+生活費支給がスタンダードであるのに対して、他国で同程度の待遇を受けられる場所は少ない。したがって質的研究専攻の方でも、計量or数理とのミックス・メソッドとする事でアメリカの大学を目指すという選択肢は検討に値する。)質的研究専攻で留学を志されている方は、オックスフォード大学博士課程を修了後ケンブリッジ大学ポスドクを経て、2024年現在東大准教授をされている向山さんのブログを参照されたい。私自身も大変参考にさせて頂いたブログである*1。以下では、計量政治学・数理政治学を専攻していてアメリカへの留学を目指す方のために、出願において重要だと思う点を述べる。
アメリカ政治学博士課程の受験で特に差がつきやすい(他の要素も重要でないというわけではないが、それらでは差がつきづらいという意味)のは、以下の2点だと考えられる。
①計量・数理の強いバックグラウンド
②国際的に著名な研究者による推薦状
日本人出願者がアメリカへの出願で苦戦しやすいのは、この両方においてハンデを負っているからである。①については、日本の大学で計量政治学・数理政治学を体系的に教えている大学は少なく(早稲田は貴重な例外である)、学部で政治学を専攻して計量・数理の強いバックグラウンドを持っている人は稀である。確かに経済学部で計量経済学・ミクロ経済学を聴講する事でそれらを補う事は可能だが、日本の政治学専攻の学生は研究者を目指すと決めた段階から方法論の学習をスタートさせるため、研究者を目指すかに関わらず学部2年生からそれらの科目を学習している経済学部生やアメリカの学生と比べ、1~2年の遅れが生じてしまう。そのため、政治学専攻の日本人出願者は概して計量・数理のバックグラウンドが弱い傾向にある。こうした点は日本以外の海外出願者にもあてはまるため、計量・数理の強いバックグラウンドを獲得する事で大きなアドバンテージを得られる。
②について、日本の政治学は国際的知名度が低いため、アメリカ博士課程への出願において有利になるような強力な推薦状を書ける先生は、日本の大学にはほとんどいない*2。推薦状の質は「書く先生の著名度」と「その先生の下での学生のパフォーマンス」の相乗効果で決まるため、極端な話ノーベル賞受賞者に初対面で推薦状を書いてもらったとしても無意味だし、逆に国際的に無名な先生からどれだけ強い推薦をもらったとしても、アメリカ博士課程への出願という場面においては残念ながら意義が乏しい。したがって、国際的に著名な先生に強い推薦状を書いてもらう必要がある。
こうしたハンデを払拭するべくかつて多くの日本人学生がとっていた手段は、「ハーバード大学の今井耕介教授が毎年東大で客員教授として行っている計量社会科学の講義を受け、推薦状を依頼する」というものである。今井教授は計量政治学の方法論で国際的に最も著名な研究者の一人であるため、同講義で良い成績をとり推薦状をもらう事で、①②のハンデを同時に解消する事が出来る。実際、近年このルートで多くの学生がトップスクールに進学していた。(2024年度より今井耕介先生は客員教授をお辞めになり、かわりに福元健太郎先生が正教授として政治学方法論の講義を担当なさるようである。依然として東大が日本における方法論教育の中心地の一つである事には変わりない。また2024年にMITから早稲田に山本鉄平先生が移籍された事により、早稲田が今後はアメリカ留学の拠点になっていくのかもしれない。)
しかし数理政治学については、トップスクールに進学した前例は少なく、計量政治学と違って確立されたルートは存在しない。そこで考えられる手段は「交換留学or修士課程留学を通じて計量・数理のバックグラウンドを強化すると共に推薦状も集める」という方法である。私はシカゴ大学の修士課程に進学し、そこで数理政治学・ミクロ経済学を中心に学習して、数理政治学で著名な先生方から推薦状を頂く事ができた。留学先で計量・数理の方法論を中心に履修する事のメリットにはさらに、第一に方法論の授業は英語力のハンデを数学力で補えるため、リーディング・ライティングが中心の文系的な授業よりも良い成績がとりやすい事、第二に政治学の中身(いわゆるサブスタンス)は標準的な内容が決まっておらず教える内容が大学によって異なるため、修士課程までで履修していても再び博士課程で履修しなくてはならず二度手間になってしまうのに対し、計量・数理の方法論は標準的内容が決まっているため、それまでに勉強した内容の続きから博士課程で勉強できる、という点がある。つまり、交換留学・修士課程留学時に計量・数理の方法論を中心に学習する事は、受験戦略としても博士課程進学後の学習の効率性という面でも合理的である。
上記のいずれかの方法で①②のハンデを取り返す事が出来れば、Top10(ランキングはU.S. Newsで、自分が専攻するサブフィールドのランキングを参照するのが通常である。)に合格する事も可能だし、少なくともTop20に合格する見込みは高くなる。アメリカでのアカデミア就職を狙うならTop10の方が有利だが、Top20でも不可能ではないし、日本に帰国して良いポストを得ている先生も多い。2つのハンデのうち日本の大学生にとって取り返すのがより難しいのは②であり、もしこれが困難な場合は①だけでも取り返す事ができればTop20への進学は十分可能である。なお、アメリカ博士課程の入試競争が激しい事を指して「既に研究業績がなければトップスクールには入れない」と言われる事があるが、政治学についてはこれは当てはまらないと思う。
以上でアメリカ博士課程に合格する上で重要な点を紹介してきたが、このような書き方だと方法論ばかり勉強していればよいという誤った印象を与えかねない。確かに博士課程受験の上では方法論のウェイトが大きいが、サブスタンスが重要でないという事では決してない。アメリカに限らず他国への留学であれ、日本の大学院への進学であれ、「様々な分野に触れる事を通じて自分が何を研究したいのか大学院に入る前に徹底的に考え、納得のいく研究テーマを定める事」が、良いSOPを書くためにも、自分に合った進学先を選ぶためにも、そしてそもそも自分が本当に政治学者になりたいのかを確かめるためにも極めて重要であるという点は、最後に強調しておきたい。
*1:以前は無料公開されていたのだが、諸事情で記事を有料化なさったようである。向山さんはこれまでボランティアで多くの後輩の相談に乗ってこられたと思う(私もその1人である)が、経緯に書かれているように、本当にやる気があるのか疑わしかったりボランティアに対する理解や感謝が不足していたりして、相談に乗った事を後悔せざるを得ないケースもあったのではないかと思う。なので、少額でも料金をとる事で本当にやる気がある人をスクリーニングするという意図には共感する所もある。私もボランティアで10人くらいの相談に乗ってきて、これまで依頼を頂いた方はきちんとした方ばかりだったので今の所私が同じような手段を取る予定はないが、その後無事に進路が決まった際には報告して頂けると嬉しいなと思う。
*2:このリストで上位数名の先生だけだろう。これは日本の機関に所属している研究者の中で計量・数理政治学の国際トップジャーナルに業績がある人をまとめたもので、政治学者全体ではなくあくまでも計量・数理政治学者のリストである事には注意すべきだが、それらを専攻する学生にとっては非常に有用である。唯一意見があるとすれば、インパクトファクターやH5 indexといった引用数をベースにしたジャーナル評価は客観性に優れている一方、人口の少ない分野(分野の人口と重要性は無関係)のトップジャーナルが過小評価されるという問題がある。例えばJournal of Economic TheoryやGames and Economic Behaviorといった経済理論のジャーナルは経済学ではトップジャーナルとされているが、インパクトファクターはそれぞれ1.4、1.0と低く、H5 indexランキングでも上位には入らない。理論研究の人口が少ないために引用指標において理論のジャーナルが過小評価される傾向は政治学にもあって、数理政治学者にとってのQuarterly Journal of Political Scienceは国際政治学者にとってのInternational Organization、比較政治学者にとってのComparative Political Studies、政治学方法論研究者にとってのPolitical Analysisと同じく準トップジャーナル的位置づけだと思うが、引用指標では低い値である。(特にPolitical Analysisとは、三大誌に載らないようなテクニカルに尖った論文が載るという傾向において近いものがあると思う。)そのため、ジャーナルを評価する際には引用指標に加えて専門家surveyによる指標も重視する必要があるだろう。